第ダイ五章ゴショウ 生イ神カミの道ミチ 359 生イ神カミ金光コンコウ大ダイ神カミといっても、
今イマまでは形カタチがあったから暑アツさ寒サムさも感カンじたが、
第ダイ一節イッセツ 生イ神カミ金光コンコウ大ダイ神カミ これからは形カタチを去サって真マコトの神カミになるから、
一目ヒトメにすべての者モノを見守ミマモることができる。
352 金光コンコウ様サマが
「私ワタシは生イ神カミではない。 360 月ツキも雲クモに隠カクれることがあろう。
百姓ヒャクショウである。 隠カクれても月ツキは雲クモの上ウエにある。
天地テンチ金カネ乃ノ神カミに頼タノめばよい。 金光コンコウ大ダイ神カミも生身ナマミであるから、
私ワタシはただ、 やがては身ミを隠カクす時トキが来クる。
神様カミサマに申モウしあげるだけのことである」 形カタチがなくなっても、
と仰オオせられ、 どこへ行イくのでもない。
ご神前シンゼンに進ススまれると、 金光コンコウ大ダイ神カミは永エイ世ヨ生イき通トオしである。
すぐ神カミから、 形カタチのあるなしに心ココロを迷マヨわさないで、
「金光コンコウ大ダイ神カミは、 真マコト一心イッシンの信心シンジンを立タてぬけ。
自分ジブンは百姓ヒャクショウであるから 美ウツクしい花ハナを咲サかせ、
天地テンチ金カネ乃ノ神カミに頼タノめばよい、 よい実ミを結ムスばせてくださる。
と言イうが、
金光コンコウ大ダイ神カミがあって天地テンチ金カネ乃ノ神カミのおかげが 361 人民ジンミンのため、
うけられるようになった。 大願タイガンの氏子ウジコを助タスけるため、
神カミは何千年ナンゼンネン来ライ、 神カミが金光コンコウ大ダイ神カミを身代ミガわりにさせる、
悪アク神カミ邪神ジャシンと言イわれてきたが、 金光コンコウ大ダイ神カミのひれいのため。
金光コンコウ大ダイ神カミがあって神カミは世ヨに出デたのである。
神カミにとっての恩人オンジンは金光コンコウ大ダイ神カミである。
人間ニンゲンも、 第ダイ二節ニセツ 神カミになる
金光コンコウ大ダイ神カミがあってこそ神カミのおかげが受ウけられるようになった。
人間ニンゲンにとっても恩人オンジンである。 362 金光(こんこう)大(だい)神(じん)のことを生(いき)神(がみ)と言うが、
神カミからも人間ニンゲンからも両方リョウホウの恩人オンジンは金光コンコウ大ダイ神カミである。 金光コンコウ大ダイ神カミばかりではない。
金光コンコウ大ダイ神カミ、 この広前ヒロマエに参マイっている人々ヒトビトがみな、
と頼タノんでおけばよい。 神カミの子コである。
金光コンコウ大ダイ神カミの言イうことを聞キいてそのとおりにすれば、 生イ神カミとは、
神カミの言イうことを聞キくのと同オナじである。 ここに神カミが生ウまれるということで、
金光コンコウ大ダイ神カミの言葉コトバにそむかないように、 金光コンコウ大ダイ神カミがおかげを受ウけはじめである。
よく守マモって信心シンジンせよ」 みなもそのとおりにおかげが受ウけられる。
とお知シらせがあった。
その後ゴ、金光コンコウ様サマは、 363 人ヒトは金光コンコウ大ダイ神ジンのことを生イ神カミと言イうが、
「今イマ、神様カミサマがあのように仰オオせられたが、 金光コンコウ大ダイ神ジンも、
私ワタシは神様カミサマの番人バンニンのようなものであるから、 あなた方ガタと同オナじ生身ナマミの人間ニンゲンである。
私ワタシに頼タノんでもおかげはいただけはしない。 信心シンジンしておかげを受ウけているまでのことである。
どうあろうとも、 あなたも、
天地テンチ金カネ乃ノ神カミ様サマ、 神カミの仰オオせどおり真マコト一心イッシンに信心シンジンしておかげを受ウけ、
と一心イッシンにすがれよ」 人ヒトを助タスけて神カミにならせてもらうがよい。
と仰オオせられた。
すると、 364 無学ムガクで人ヒトが助タスけられないということはない。
「金光コンコウ大ダイ神カミはあのように言イうが、 学問ガクモンはあっても真マコトがなければ、
金光コンコウ大ダイ神カミにすがっていればよい。 人ヒトは助タスからない。
まさかの折オリには、 学問ガクモンが身ミを食クうということがある。
天地テンチ金カネ乃ノ神カミ、 学問ガクモンがあっても難儀ナンギをしている者モノがある。
と言イうにおよばない。 金光コンコウ大ダイ神ジンは無学ムガクでも、
金光コンコウ大ダイ神カミ助タスけてくれ、 みなおかげを受ウけている。
と言イえば、
すぐにおかげを授サズけてやる」 365 人ヒトを一人ヒトリ助タスければ、
とお知シらせがあった。 一人ヒトリの神カミである。
十人ジュウニン助タスければ、
十人ジュウニンの神カミである。
353 金光コンコウ大ダイ神カミの取次トリツで、 366 わが身ミ、
神カミも立タち行ユき、 わが一家イッカを練習レンシュウ帳チョウにして、
人間ニンゲンも立タち行ユく。 神カミのおかげを受ウけて人ヒトを助タスけよ。
人間ニンゲンあっての神カミ、
神カミあっての人間ニンゲン、 367 神カミから金光コンコウ大ダイ神ジンに、
子コのことは親オヤが頼タノみ、 いつまでも尽ツきないおかげを話ハナシにしておく。
親オヤのことは子コが頼タノみ、 金光コンコウ大ダイ神ジンが教オシえたことを違チガわないように
天(あめつち)地のようなもので、 人ヒトに伝ツタえて真マコトの信心シンジンをさせるのが、
あいよかけよで頼タノみ合アいをせよ。 神カミへのお礼レイである。
これが神カミになるのである。
354 金光コンコウ大ダイ神カミの話ハナシは、 神カミになっても、
学者ガクシャの話ハナシや講義コウギと違チガって、 神カミより上ウエになるとは思オモうな。
ここが続ツヅき、
ここが切キれ目メということがない。 368 信心シンジンしておかげを受ウけて、
天地テンチのある間アイダは、 難儀ナンギな人ヒトを助タスける身ミにならせてもらうがよい。
天地テンチの話ハナシが尽ツきることはない。 神カミの心ココロになって、
金光コンコウ大ダイ神カミは天地テンチの道ミチ理リを説トくのである。 受ウけたおかげを人ヒトに話ハナして真マコトの道ミチを伝ツタえるのが、
神カミへのお礼レイである。
355 「天地テンチ金カネ乃ノ神カミと人間ニンゲンとの間柄アイダガラを、 それが神カミのお喜ヨロコびとなる。
参マイって来クる者モノに話ハナして聞キかせよ」 信心シンジンするといっても、
と、神様カミサマがおおせられるので、 これまではみな神カミを使ツカうばかりで、
金光コンコウ大ダイ神カミは話ハナシをしているのである。 神カミに使ツカわれることを知シらない。
天地テンチ金カネ乃ノ神カミは人ヒトを使ツカいとなさる。
356 金光コンコウ大ダイ神カミがご神前シンゼンを離ハナれれば、 神カミに使ツカわれることを楽タノしみに信心シンジンせよ。
世ヨの人々ヒトビトがけが過アヤマちをするかも知シれない。
世ヨの人々ヒトビトにけが過アヤマちのないように、 369 「私ワタシはこれまで広大コウダイなおかげをいただいていますので、
本当ホントウのおかげが受ウけられるようにと願ネガっていると、 何ナニか神様カミサマにお礼レイをさせていただきたいと思オモいますが、
金光コンコウ大ダイ神カミはここを動ウゴく暇ヒマがない。 何(なに)を奉(たてまつ)ったら、
この神様カミサマは一番イチバンお喜ヨロコびくださるでしょうか」
357 金光コンコウ様サマは、いつも、 とおたずねした。
「たとえ、この身ミは八ヤつ裂ザきの仕置シオきにあい、 金光コンコウ様サマは、
村々ムラムラの辻ツジにさらし者モノにされるようなことがあっても、 「神カミにお礼レイをするのに物モノを奉タテマツってすむのならば、
私ワタシの屋敷ヤシキ跡アトに青草アオクサが生ハえるようになっても、 これまであなたが神カミのおかげを受ウけられたそのお礼レイには、
少スコしもかまいません。 何ナニもかも奉タテマツっても足タりはしまい。
世界セカイの人々ヒトビトが、 神カミはそんなものをお喜ヨロコびになるのでもなく、
生イ神カミ金光コンコウ大ダイ神カミ、 また望ノゾんでおられるのでもない。
と真心マゴコロで一心イッシンに願ネガえば、 神カミのありがたいことを知シらない世ヨの中ナカの人々ヒトビトに、
どのような願ネガい事ゴトでもかなえてくださいませ」 あなたがおかげをいただかれたことを教オシえてあげよ。
と願ネガっておられた。 そうすれば、
その人々ヒトビトが助タスけられ救スクわれる。
358 「金光コンコウ様サマ、あなたがお隠カクれになりましたら、 それが神カミの一番イチバン喜ヨロコばれるお礼レイである」
この道ミチはどうなりましょうか」 と仰オオせになった。
とお伺ウカガいした。
すると、 370 生イきている時トキに神カミになっておかないで、
「心配シンパイすることはない、 死シんで神カミになれるか。
形カタチを隠カクすだけである。
肉体ニクタイがあれば、
世ヨの人々ヒトビトが難儀ナンギするのを見ミるのがさらい。
体カラダがなくなれば、
願ネガう所トコロに行イって人々ヒトビトを助タスけてやる」
と仰オオせられた。