第ダイ三節サンセツ 神カミの心ココロ 46 これまでは懐妊カイニン中チュウの事柄コトガラを教オシえた者モノがないため、
種々シュジュのことに迷マヨっている。
28 神カミは、人間ニンゲンを救スクい助タスけてやろうと思オモっておられ、 人間ニンゲンは何ナニのおかげでできるのか。
このほかには何ナニもないのであるから、 母ハハの胎内タイナイに宿ヤドり、妊娠ニンシンしたというのは、
人ヒトの身ミの上ウエにけっして無駄ムダ事コトはなされない、 神カミが御霊ミタマを授サズけてくださった時トキである。
信心シンジンしているがよい。 この御霊ミタマは、医者イシャが腹ハラを開ヒラいて、
みな末スエのおかげになる。 これが御霊ミタマであると言イって人ヒトに見ミせることはできない。
人間ニンゲンの目メに見ミえない神カミから、
29 広ヒロい世間セケンには、 肉眼ニクガンで見ミることのできない御霊ミタマをお授サズけくださるということは、
鬼オニのような心ココロを持モっている者モノもないとは言イえないが、 ありがたいことである。
人間ニンゲンであったら、気キの毒ドクな者モノを見ミたり難儀ナンギな者モノの話ハナシを聞キけば、 人間ニンゲンの肉体ニクタイは、母親ハハオヤが好スきなものを食タべ、
かわいそうになあ、 血チの増フえるのをもとにして、一人ヒトリの体カラダが造ツクられ、
何ナンとかしてあげたいと思オモうものである。 十ジュウ月ツキ前後ゼンゴで出産シュッサンして、男子ダンシである、女子ジョシであると言イう。
神カミの心ココロは、このかわいいの一心イッシンである。 懐妊カイニン中チュウ、神カミのお恵メグみでお造ツクりくださるのである。
30 「烏カラスをおとりにしてかすみ網アミで雀スズメを捕トっていました。 47 夫婦フウフは他人タニンの寄ヨり合アいである。
かわいそうなことをすると思オモいました」 仲ナカよくすれば一代イチダイ安心アンシンに暮クらせる。
と申モウし上アげたら、金光コンコウ様サマは、 夫婦フウフげんかをしても、後アトから心ココロが折オり合アう時トキ、
「かわいいと思オモう心ココロが、そのまま神カミである。それが神カミである」 よく考カンガえてみるとわけがわかる。
と仰オオせられた。 この事柄コトガラを自分ジブンでわかるということは、
神カミからお与アタえくだされた御霊ミタマが、
31 人間ニンゲンがおかげを受ウけてくれなければ、 体カラダの司ツカサだからである。
神カミも金光コンコウ大神ダイジンもうれしくない。
人間ニンゲンがおかげを受ウけないで苦クルしんでいるようでは、 48 神カミも人ヒトも同オナじこと、
神カミの役目ヤクメが立タたない。 いくら神カミを拝オガんでも、
人間ニンゲンが立タち行イかなければ、 人ヒトの心ココロにかなわなければ神カミの心ココロにもかなわない。
神カミも金光コンコウ大神ダイジンも立タち行イかない。 神カミの心ココロにかなわなければ人ヒトのこころにもかなわない。
32 同オナじように腹ハラを痛イタめた子コであれば、 49 人ヒトが人ヒトを助タスけるのが人間ニンゲンである。
かわいさに違チガいはないはずであるが、 人間ニンゲンは、子供コドモがころんでいるのを見ミて、
それなのに、不幸フコウせな子コほどふびんであろう。 すぐに起オこしてやり、また水ミズ落オちているのを見ミて、
神カミもそのとおりで、難ナンの多オオい、不幸フコウせな者モノほど、 すぐ引ヒき上アげてやることができる。
おぼしめしが強ツヨい。 人間ニンゲンは万物バンブツの霊長レイチョウであるから、
自分ジブンの思オモうように働ハタラき、人ヒトを助タスけることができるのは、
33 親オヤは心配シンパイさせる不肖フショウな子コほどふびんに思オモうであろう。 ありがたいことではないか。
神カミも、神カミの心ココロを知シらないでいる者モノほどかわいいと仰オオせになる。 牛ウシ馬ウマその他タの動物ドウブツは、
親オヤを頼タヨって来クる子コには、うまい物モノでもやれるが、 わが子コが水ミズに落オちていても引ヒき上アげることはできない。
来コいと言イっても、何ナニかと逆サカらい親オヤを敵カタキのようにして、 人間ニンゲンが見ミると、助タスけてやれる。
よそへ出デてしまうと、どうしているだろうかとふびんに思オモう。 牛ウシ馬ウマや犬イヌ猫ネコの痛イタい時トキに人間ニンゲンが介抱カイホウして助タスけてやることは、
親オヤかそうして子コをかわいがるのも、 だれでもあろう。
神カミが人間ニンゲンをかわいがってくださるのも、 人間ニンゲンは病苦ビョウク災難サイナンの時トキ、
同オナじことである。 神カミや人ヒトに助タスけてもらうのであるから、
人ヒトの難儀ナンギを助タスけるのが人間ニンゲンであると心得ココロエて信心シンジンせよ。
34 不フ信シン信者シンジャほど神カミはかわいい。
信心シンジンしておかげを受ウけてくれよ。 50 わが身ミはわが自由ジユウにならないものである。
35 自分ジブンの信心シンジンが足タりないためにおかげを受ウけられないのを、 51 障子ショウジ一重ヒトエがままならない人ヒトの身ミである。
神カミのおかげがないように思オモっている。
神カミはこれが情ナサけなくてならない。 52 人間ニンゲンを軽カルく見ミるな、
軽カルく見ミたらおかげはない。
36 よく、神カミに捨スてられた捨スてられたと言イうが、
神カミはめったに捨スてはしない。
みな、人間ニンゲンの方ホウから神カミを捨スてるのである。
37 神カミを親オヤと思オモって信心シンジンしていれば、 53 どの宗教シュウキョウを信シンじていてもくさすことはない。
神カミの方ホウから子コと思オモう。 みな、天地テンチ金カネ乃ノ神カミのいとしい子コである。
たとえて言イえば、子供コドモのそばに、親オヤがいなければ、 あれこれと宗教シュウキョウが分ワかれているのは、
悪ワルい者モノに棒ボウでたたかれることもあるが、 たとえば同オナじ親オヤが産ウんでも、
親オヤがついていればたたかれることはない。 大工ダイクになる子コもおり左官サカンになる子コもあり、ばくちを打ウつ子コもあり、
悪事アクジ災難サイナンは棒ボウを持モって来クるのではないから、 商売ショウバイ好ズきな子コもあるというようなものでる。
しのごうと思オモってもしのげないけれども、 宗教シュウキョウが分ワかれているといっても、
神カミを父チチ母ハハと思オモって信心シンジンしていれば、 人ヒトはみな神カミの子コで、
目メに見ミえない所トコロは神カミが守マモってくださる。 それぞれに分ワかれているのである。
そばの好スきな者モノや、うどんの好スきな者モノがあり、
38 神カミへは何ナンでも願ネガえ。 私ワタシはこれが好スきだ、私ワタシはこれが好スきだと言イって、
神カミは頼タノまれるのが役ヤクである。 みな好スき好スきで成ナり立タっているのであるから、
くさすことはない。
第ダイ四節ヨンセツ 人間ニンゲン 54 人ヒトのことをそしる者モノがある。
神道シントウはどう、仏教ブッキョウがこうなどと、そしったりする。
39 天地テンチ金カネ乃ノ神カミはこの世ヨの親オヤ神カミであるから、 自分ジブンの産ウんだ子供コドモの中ナカで、
天地テンチ金カネ乃ノ神カミに信心シンジンしているといっても、 一人ヒトリは僧ソウ侶リョになり、一人ヒトリは神父シンプになり、一人ヒトリは神主カンヌシになり、
していないといっても、 また、役人ヤクニンになり、職人ショクニンになり、商人ショウニンになりというようになった時トキ、
天地テンチの間アイダに生イきているからには、 親オヤは、その子供コドモの中ナカでだれかがそしられて、
天地テンチ金カネ乃ノ神カミの子コに変カわりはない。 うれしいと思オモうだろうか。
他人タニンをそしるのは、神カミの心ココロにかなわない。
40 天テンが下シタの者モノはみな、 釈迦シャカもキリストも宗祖シュウソも、
神カミの氏子ウジコである。 みな神カミのいとし子コである。
天テンの下シタに他人タニンはない。
41 人ヒトの身ミが大事ダイジか、わが身ミが大事ダイジか。 第ダイ五節ゴセツ 生セイと死シ
人ヒトもわが身ミもみな人ヒトである。
55 生イきている間アイダも死シんだ後アトも天テンと地チはわが住スみかである。
42 疑ウタガいを放ハナして広ヒロい真マコトの大道オオミチを知シれよ。 生イきても死シんて゜も天地テンチのお世話セワになることを悟サトれ。
わが身ミは神カミ徳トクの中ナカに生イかされている。
56 お天道様テントウサマのお照テらしなさるのもおかげ、
43 牛ウシは人間ニンゲンとは違チガい、 雨アメの降フられるのもおかげである。
寒サムい時トキでも寒サムさの用意ヨウイもしないで、 人間ニンゲンはみな、おかげの中ナカに生イかされて生イきている。
毛ケがあるだけで、冬フユの寒中カンチュウかぜもひかない、 人間ニンゲンは、おかげの中ナカに生ウまれ、
これは飼カっている人間ニンゲンの力チカラにおよばない、 おかげの中ナカで生活セイカツをし、おかげの中ナカで死シんでいくのである。
鶏ニワトリも山ヤマの鳥トリ類ルイ、獣ケモノも同様ドウヨウである。
みな、神カミがお守マモりくださっててることを悟サトるのが人間ニンゲンである。 57 生イきている時トキだけ天地テンチ金カネ乃ノ神カミのお世話セワになるように思オモっている者モノもあるが、
死シんでもお世話セワにならなければなせない。
44 人間ニンゲンは小ショウ天地テンチで、自分ジブンの頭アタマをいつも神カミがお守マモりくだされているから、 魂タマシイは神カミからお下サげくださったものであるから、
自分ジブンの体カラダを思オモうように使ツカえるのである。 天テンからお暇ヒマが出デたら、また神カミのおひざもとに納オサまり、
体カラダは地チから生ショウじたものであるから、
45 人間ニンゲンはみな天地テンチ金カネ乃ノ神カミから人体ジンタイを受ウけ、 地チに納オサまってお世話セワにならなければならない。
御霊ミタマを分ワけていただき、
日々ヒビ天地テンチの調トトノえてくださる食物ショクモツをいただいて命イノチをつないでいる。 58 神カミのおかげで生ウまれてきた人間ニンゲンであるから、
昔ムカシから、天テンは父チチ、地チは母ハハというであろう。 死シぬのも神カミのおかげでなくて死シねるものか、
天地テンチ金カネ乃ノ神カミは人間ニンゲンの親オヤである。 そうであるから、
信心シンジンをする者モノは、 生ウまれたのがめでたいなら、
一生イッショウ死シなない父母チチハハに巡メグり会アい、 死シんで神カミになるのは、
おかげを受ウけていくのである。 なおのことめでたいではないか。
死シぬのがつらいと言イうのは、
まだ、死シぬのをいとわないだけの安心アンシンができていないからである。
信心シンジンして、早ハヤく安心アンシンのおかげを受ウけておかなければなせない。
神カミのお計ハカらいでは、いついくかも知シれないのに、
その際サイのうろたえ信心シンジンでは間マに合アわない。
平生ヘイゼイから、
まさかの折オリにうろたえないだけの信心シンジンをしておかなければならない。